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昭和4年(1929年) |
10月 |
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川勝文次が木津市場において、丹文こと川勝商店として開業。 |
昭和23年(1948年) |
7月 |
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大阪市中央市場(旧)35号店舗として川勝商店を開店。 |
昭和38年(1963年) |
7月 |
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バナナの自由化に伴い、且O協バナナ(現在且O協)を設立。 |
昭和39年(1964年) |
12月 |
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流通業務の近代化に対応するため、川勝商店と南野商店が合併し、竃怏ハを設立。(合併法人第一号) |
昭和40年(1965年) |
4月 |
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竃怏ハ不動産(現在マンカシステムサービス)を設立。 |
昭和40年(1965年) |
12月 |
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且O協バナナを且O協に社名変更。 |
昭和44年(1969年) |
4月 |
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竃怏ハと且O協の共同で農林省、市場当局絶大な支援のもと鳥飼センターを開設。 |
昭和49年(1974年) |
4月 |
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丸紅梶A大阪促成青果鰍フ応援を得て、鳥飼センターを分離独立させ、新しい青果物の流通を構築すべく叶V三協食品流通センターを設立。 |
昭和50年(1975年) |
7月 |
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販売管理、特に在庫管理の徹底を図るため、コンピューターを導入。 |
昭和51年(1976年) |
11月 |
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大阪市中央卸売市場果実部が現在地に移転。(果実75号店舗) |
昭和53年(1978年) |
5月 |
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大阪府中央卸売市場(茨木市)の開場にあたり、潟}ルマンを設立するとともに、竃怏ハ北部支店も開設。 |
昭和54年(1979年) |
2月 |
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竃怏ハは、売場面積と経営規模拡大を図るため、向かい店舗を吸収合併。 |
昭和56年(1981年) |
12月 |
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川勝文次初代会長が死去。翌年1月に社葬。 |
昭和57年(1982年) |
3月 |
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青果物流通の新しいルート作りを目指し、叶V三協食品流通センターの配送部門を分離独立し、轄_栄配送(現在轄_栄)を設立。 |
昭和58年(1983年) |
1月 |
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竃怏ハ不動産をグループの本部とし中枢機能強化のため、マンカシステムサービスに社名変更。 |
昭和58年(1983年) |
3月 |
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事務合理化推進に向けてOA機器を導入。同時に管理会計制度を採用。 |
昭和58年(1983年) |
3月 |
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第一回社員総会を開催し年度経営方針の発表を行なう。以降毎年実施。 |
昭和59年(1984年) |
5月 |
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轄_栄配送の営業所を摂津市東一津屋から同市鳥飼西へ移転。 |
昭和62年(1987年) |
6月 |
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轄_栄配送は企画営業部を新設し、輸入野菜の開発輸入に取り組み始めたことに伴って、轄_栄に社名変更。 |
昭和63年(1988年) |
1月 |
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竃怏ハはホテル・外食産業納品部門を新設。 |
平成2年(1990年) |
4月 |
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グループの名称を万果グループからマンカ流通グループに変更。 |
平成2年(1990年) |
4月 |
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森栄一社長がグループ会長に、グループ各社部門長が社長に就任。 |
平成2年(1990年) |
4月 |
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潟}ルマンは竃怏ハ北部支店の営業譲渡を受け、潟Aステップを吸収合併し、北部市場での営業面積拡大を図る。 |
平成2年(1990年) |
4月 |
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竃怏ハは68イ号店舗を吸収合併。以降も、同年8月に61号店舗を、平成4年3月に43号店舗を、平成6年3月に68ロ号店舗を、平成8年4月に44号店舗を吸収合併し、経営規模の拡大を図る。 |
平成2年(1990年) |
4月 |
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ジャパンフラワー梶i現在潟Wェイアンドエフ)を花卉卸売業として釜a秀の支援のもと設立。 |
平成4年(1992年) |
3月 |
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マンカ流通グループ本社ビル完成。 |
平成4年(1992年) |
8月 |
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おおさかパルコープと共同出資で鰍ィおさかベジタブルセンターを設立。 |
平成4年(1992年) |
11月 |
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潟}ルマンは、摂津市鳥飼西に商事部の加工場を開設。 |
平成5年(1993年) |
4月 |
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ジャパンフルーツを設立。 |
平成6年(1994年) |
4月 |
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ジャパンフラワー鰍農作物の取扱い開始に伴って、潟Wェイアンドエフに社名変更。 |
平成7年(1995年) |
3月 |
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業務の合理化、情報化を追求すべくパソコンLANシステムの導入。 |
平成7年(1995年) |
10月 |
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竃怏ハは、マンカ流通グループ本社ビルの1〜2階を改装しカットフルーツ事業を開始。 |
平成8年(1996年) |
4月 |
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轄_栄は、東京都大田区に東京営業所を開設。 |
平成8年(1996年) |
6月 |
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潟Wェイアンドエフは、経営規模拡大のため摂津市東一津屋から茨木市宮島の大阪府食品流通センター内に移転。 |
平成10年(1998年) |
9月 |
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竃怏ハはSP加工場を大阪市福島区野田6丁目に開設。 |
平成11年(1999年) |
4月 |
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森栄一会長が退任し相談役に、磯部誠治社長がグループ会長に就任。 |
平成11年(1999年) |
4月 |
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竃怏ハの加工部門、現業部門、カットフルーツ部門を分離独立し潟Nオリティーワンを設立。 |
平成11年(1999年) |
11月 |
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潟}ルマン商事部は、摂津市鳥飼西の加工場を閉鎖し、大阪府食品流通センター内に移転。 |
平成12年(2000年) |
2月 |
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叶V三協食品流通センターは、最新式バナナ熟成装置の導入および新事務所完成。 |
平成12年(2000年) |
8月 |
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取引先のニーズを満たす物流センターの構築を目指し、叶V三協食品流通センターの新社屋完成。 |
平成12年(2000年) |
10月 |
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且O協は千里南地区再整備事業による商業施設が開設するまでの間の暫定店舗へ移転。それに伴い店舗イメージの大幅転換と顧客第一主義の徹底により売上拡大を図る。 |
平成13年(2001年) |
7月 |
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潟Nオリティーワンは、摂津市東一津屋に温度管理機能に重点を置いたSET’Sセンターを開設。 |
平成13年(2001年) |
8月 |
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竃怏ハは叶V三協食品流通センターの市場商品調達部門として61号店舗を潟Rコロとして分社を設立。 |
平成14年(2002年) |
4月 |
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轄_栄は東京営業所を分離独立し、轄_栄インターナショナルを設立。 |
平成15年(2003年) |
3月 |
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轄_栄インターナショナルを解散。 |
平成16年(2004年) |
4月 |
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潟}ルマンはジャパンフルーツを吸収合併し、経営の合理化を図る。 |
平成17年(2005年) |
4月 |
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潟Nオリティーワンを解散。 |
平成17年(2005年) |
4月 |
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轄_栄は、摂津市東一津屋のSET’Sセンタへ移転し、運輸部と経営の合理化を図る。 |
平成17年(2005年) |
4月 |
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磯部誠治会長が退任し相談役に、中川恵次社長がグループ代表に就任 |
平成17年(2005年) |
6月 |
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果実69番潟jシムラ、マンカ流通グループへ |